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【レポート】キュレーターによるギャラリートーク第6回「シンガポール美術にみる歴史とアイデンティティー」

2017/10/23 10:00

「サンシャワー展」の出展作品、作家への理解を深めていただくことを目的に開催した「キュレーターによるギャラリートーク」は、全9回をいずれも好評のうちに終えることができました。各回、テーマを設けて行われましたが、その中から「シンガポール美術にみる歴史とアイデンティティー」というテーマで9月15日に国立新美術館で行われた第6回のトークをレポートします。この日、話を聞きに来てくださったのは約20人。担当したキュレーターは同美術館の武笠由以子研究補佐員(当時)でした。テーマと関連する作品を、その背景となるシンガポールの歴史などを交えて解説してもらいました。

国家や市民としての問題意識

「サンシャワー展」準備のため、2015年から展覧会担当キュレーターたちは手分けしてASEAN各国を訪れ、調査を行いました(詳細はこちら)。10あるASEAN加盟国の中で武笠研究補佐員が訪れた国は、ちょうどビエンナーレ開催のさなかだった2016年のシンガポールです。作品を見たり作家から話を聞いたりする中で「植民地化の歴史や、国家や市民としてのアイデンティティーといった問題意識がよく現れている」と感じたそうです。

後述の通り、シンガポールはマレー半島の南端に位置する島で、19世紀からイギリスに植民地化されました。第二次世界大戦中の日本軍による占領を経て、大戦後にはイギリスの植民地に戻ります。独立を果たしたのは1963年。当時のマラヤ連邦、現在のマレーシアと「マレーシア連邦」を結成したものの、1965年にはマレーシア連邦から離脱し、単独で国家となる道を選びました。

イギリスに植民地化される以前は「ライオンの町」を意味するサンスクリット語の「シンガプラ」という名称で呼ばれ、アラブ諸国と東南アジア、極東を結ぶ海のシルクロードの中継地点として繁栄しました。16世紀の大航海時代にはポルトガルやオランダの支配を受けて荒廃した時期もあります。東京23区と同じくらいの面積の国で、マレー系やインド系、また、外国人も多く住んでいますが、人口の7割以上が中華系の住民で占められています。

国立新美術館の2番目のセクション「情熱と革命」に展示されたホー・ルイ・アンはその中華系シンガポール人で、展覧会中最年少となる27歳のアーティストです。ギャラリートークは、最初のセクション「うつろう世界」について語られた後、ホー・ルイ・アンの作品が問題とする植民者/被植民者の意識を入り口に「シンガポール美術にみる歴史とアイデンティティー」というテーマへと入り込んでいきました。

Sunshower Image

武笠由以子(以下、武笠):出品作《ソーラー:メルトダウン》でルイ・アンは、近年海外で注目されているレクチャー形式のパフォーマンスを行っています。パフォーマンスは「汗」や「太陽」というイメージの連想や西洋の映画、テレビドラマを取り上げながら進められ、植民地時代に東南アジアを訪れる白人女性に話が及びます。ここで出てくるのが、アメリカ映画の『王様と私』(1956年)とそのリバイズ版『アンナと王様』(1999年)です。『アンナと王様』は1860年代のタイを舞台としていて、タイの王様と、子供たちの家庭教師として訪れたイギリス人女性が、文化の違いから対立しながらも次第にお互いを理解していく物語です。タイが舞台ですから、映画では一見、みんながタイ語で話しているように見えます。

ここでルイ・アンは面白い指摘をします。タイ人役を演じる主要な俳優たちが、実は香港や中国、シンガポール、マレーシア出身で、実際はタイ人でもなければ、タイ語を母国語として話す人々でもないということです。この映画のオーディションが行われた時、「現地の俳優たちが自分のアイデンティティーを置き換える能力を証明するため応募した」とも指摘しています。欧米の映画に登場する日本人の役を中国や韓国の人が演じているのを見ることがありますが、アジアならどの国も大体同じで、置き換えができるという見方に基づいているのかもしれません。

パフォーマンスでは、列強の国々が植民地に投げかけていたこのような視線について、他の事例も紹介されます。作品の一部として設置されていた、天井から吊るされた「プンカ」と呼ばれる人力扇風機もその一つ。宗主国の人々が、植民地の亜熱帯の暑さから少しでも逃れるべく考えだした装置です。プンカから扇ぎだされる涼しい風は、支配されている植民地の人が人力で紐を漕いで、汗だくになりながらつくりだしたものだったことをユーモラスに提示していきます。

ホー・ルイ・アン《ソーラー:メルトダウン》

ホー・ルイ・アン《ソーラー:メルトダウン》

武笠:レクチャーの最後には、エリザベス女王在位60周年の記念式典の時の話が出てきます。式典では暑さの中、テムズ川を船に乗って下るエリザベス女王に向かって人々が汗をかきながら競って手を振り、一方それに応えて小さく手を振り返す女王の顔が一見、涼しげだったといいます。しかし、その場にいたというルイ・アンは女王が体の向きを変えた時、「彼女の背中の汗が見えた」というのです。「汗」と「太陽」の下での苦労だけが、立場の違いを越えて人々が共有できるものだと述べています。

作品の側面の壁に置かれた小さな人形は太陽光に当たると手を小さく振るエリザベス女王の人形で、レクチャーに登場するものと同じです。

武笠:レクチャーは巧みに構成されていて、多様なイメージを用いながら、植民地支配や近代化という歴史がもたらした西洋と東南アジアの複雑な関係について考察しています。さまざまなパワーバランスやマイノリティの視点をテーマとしながら、オリエンタリズムやコロニアリズムといった欧米の風潮・思想を取り入れ、かつ、アジア人の視点を英語で世界の人々に伝えようとするルイ・アンの姿勢。ここには、西洋で学んだアジアの知識人やアーティストたちがアイデンティティーを構築していく方法が、典型的に示されていると思います。

「情熱と革命」セクションでは、同じシンガポール出身の作家ホー・ツーニェンもシンガポールの歴史を取り上げています。

武笠:《2匹または3匹のトラ》では植民地支配や日本軍による占領が引き起こした人間同士の対立と、人間と自然との共生関係の崩壊を扱っていて、古来、神聖なものと考えられてきた虎をモチーフとして使っています。大音量で迫力のあるこの映像作品にも、やはりアイデンティティーを考えるヒントがあるのかもしれません。

アーティストたちの活動の記録

展示順をたどっていくと、ホー・ルイ・アンの次なるシンガポール出身作家の展示は、しばらく歩いた先の3番目のセクション「アーカイブ」にあります。「アーカイブ」セクションではアートムーブメントやコレクティブの活動など、東南アジア域内における重要な現代アートの歴史を振り返る展示が行われています。4組による資料を中心とした展示になりますが、そのうちの一つが、シンガポールのアーティスト、コウ・グワンハウと、リム・センゲンの共同制作によるものになります。

コウ・グワンハウ

コウ・グワンハウ(リム・センゲンとの共同制作)
《ザ・アーティスト・ビレッジ(「シンガポール・アート・アーカイブ・プロジェクト」より)》

武笠:コウ・グワンハウはアーティストで、シンガポール美術を研究するインデペンデントのリサーチャーでもあります。美術館に勤務した経験があり、20代の時にはシンガポールのナショナル・ミュージアム(シンガポール国立博物館)でアシスタントとして働き、作品の登録や保管、修復の業務に触れていました。当時はこのミュージアムがシンガポールの現代美術の中心地だったため、コウ・グワンハウも主なアーティストやキュレーターたちとのネットワークに加わり、またレクチャーやパフォーマンスなどのイベントが行われていいたため、その招待状やパンフレット、カタログを収集し、イベントの写真や録音をするようになったといいます。

1980年代後半にシンガポールにアーティストが運営するアート・スペースやアーティストたちの集まったコレクティブと呼ばれる集団がつくられるようになりますが、コウはその活動を記録し、資料の収集を始めました。最初は自宅のマンションに大量の資料を置いていて、それを他のリサーチャーにも公開していました。1990年代には福岡アジア美術館の企画やレジデンス・プログラムに参加しており、その経験からより本格的にコレクションの拡充や、より古い時代のシンガポール人アーティストについての調査も行うようになったそうです。

コウは、それまでに収集したパンフレットやカタログ、また自分で撮影した写真やパフォーマンスの映像、会話・インタビューの記録などを基にして「シンガポール・アート・アーカイブ・プロジェクト」というプロジェクトを立ち上げ、そのドキュメント資料を、シンガポール・ビエンナーレなどさまざまな機会で展示してきました。「アーカイブ・プロジェクト」の中心となっているのは、「ザ・アーティスト・ビレッジ(TAV)」というアート・コレクティブに関連する資料です。

今回の展示もザ・アーティスト・ビレッジの資料に焦点を当てていて、壁全体はザ・アーティスト・ビレッジの活動の年表になっています。リム・センゲンはここで、AR(拡張現実)を使ったアプリの開発者として参加しています。コウの収集した膨大な実際の資料を限られたスペースに展示することは難しいため、モバイル端末にダウンロードしたこのアプリから再生させる形で、写真や映像資料を効果的に見せています。

シンガポールは政府による芸術、思想の表現に対する規制が強いのですが、その中でザ・アーティスト・ビレッジは実験的な芸術活動の促進を目的としていました。美術館でもギャラリーでもなく、アーティスト主体のアート・コレクティブとして先駆者的な存在で、シンガポール美術の歴史の中でも重要な位置を占めています。

コウ・グワンハウがアーカイブ資料を集め始めた1990年代には、シンガポールは急速な経済的発展と都市開発を経験していて、それ以前の時代の歴史的資料が失われつつあったそうです。その中で彼は、古い世代のアーティストたちの活動や美術作品、関連資料を収集、保存するという貴重な活動を行ってきたのです。

人が自己のアイデンティティーを形成する際、属する民族や国家の歴史的側面を当然参照することになります。展示そのものはアイデンティティーの考察を促すような問題提起を狙っているわけではありませんが、コウ・グワンハウによって記録されたさまざまな記憶や出来事が、立ち返ることができるような形で残されているということの重要性を感じられる内容になっています。

もしシンガポールが今もマレーシアの一部だったら

「サンシャワー展」には、計86組の作家が出品しています。その中でシンガポール出身の作家は、10組。うち9組は国立新美術館での展示となります。国立新美術館の展示スペースは、約2000㎡(森美術館は約1500㎡)で、これが5つのセクションに分けられ、5組が4番目のセクション「さまざまなアイデンティティー」に集中しています。アイデンティティーの問題と、シンガポール出身作家との浅からぬ縁が感じられます。

この5組の先頭を飾るのが、現在34歳になる中華系シンガポール人の映像作家ブー・ジュンフェン。近年映画監督としても注目されていて、昨年の東京国際映画祭では『見習い』という長編映画作品も上映されました。

ブー・ジュンフェン《ハッピー・アンド・フリー》

ブー・ジュンフェン《ハッピー&フリー》

武笠:今回出品されている《ハッピー&フリー》は2013年のシンガポール・ビエンナーレのために制作された作品で、ビエンナーレのテーマ「もし世界が変わっていたら(?)」を受けています。もし1965年にシンガポールとマレーシアが分離せず、一つの国だったら、という仮定に基づいています。

シンガポールについてもっともよく知られている映像の一つに、1965年のマレーシア連邦離脱時、「建国の父」とも言われる元首相リー・クアンユーが涙しながら離脱宣言を行った時のものがあります。小国だったシンガポールの行く末に絶望したため涙したとも言われていますが、離脱はマレーシアによって半ば強制される形で行われたのです。

武笠:イギリスは第二次大戦中、マレー半島の民族独立を約束していましたが、1945年の日本軍の撤退後も支配権を簡単には手放そうとはしませんでした。そして独立させる代わりに、戦後(1946年)まず、シンガポールをマレー半島から分離してイギリス海軍の拠点とし、それ以外のマレー半島と島々を連合州としてイギリス人総督が統治する「マラヤ連合」が発足しました。この時イギリスは、マレー半島で伝統的に支配権を握っていたスルタンの権限を制限し、マレー系の人々だけではなく、中華系、インド系など民族を選別せずに市民権を人々に与えることにしました。

これに対してマレー系の人々は、将来的に中華系住民の勢力が増大することで自分たちの権益が侵害されることを懸念して反発、マラヤ連合が解体され、マレー各州のスルタンの地位を復権する形で、1948年に「マラヤ連邦」が編成されたという経緯があります(この「マラヤ連邦」には、シンガポールは含まれない)。この時期、マレー半島地域では、マレー人、中華系の華人、インド系の人々がそれぞれの民族ごとに政治団体を組織し、自分たちの利益を守りつつ独立を目指して活動し、三つ巴の様相を呈していました。

1957年には、この「マラヤ連邦」がシンガポールよりも先にイギリスから独立し、一方のシンガポールはまだイギリス領ではあったものの1959年に内政自治権を獲得し、初の総選挙を行いました。そこで中華系住民を基盤とする人民行動党が大勝し、リー・クアンユーが初代首相となりました。

その後、シンガポールはイギリスの植民地支配から脱却するため、マレー半島と合併することを決断、先に述べた通り1963年にマレー半島のマラヤ連邦にシンガポール、ボルネオ島のサバ州、サラワク州も加えた形で連邦国家であるマレーシア連邦が成立します。ここにシンガポールの独立が成ったわけです。

しかし、すぐにマレーシア連邦のマレー中心主義の国家体制に対して、シンガポールでは多数派である中華系住民の不満が高まり、単独での独立への希望が募ります。2年後の1965年にはシンガポールはマレーシア連邦から分離し、共和国として独立しました。このようにシンガポールはマレーシアに対抗しながらイギリスからの独立をめざし、それがシンガポールという国のアイデンティティー形成を促したと言えます。

ブー・ジュンフェン《ハッピー・アンド・フリー》02

ブー・ジュンフェン《ハッピー&フリー》

武笠:ブー・ジュンフェンのインスタレーション《ハッピー&フリー》はシンガポールがマレーシア連邦の一部にとどまり、2013年の連邦成立50周年を祝っているという架空の現在を想定しています。カラオケブースに流れる歌と映像は、マレーシア連邦への合併を記念してつくられたミュージック・ビデオとされています。シンガポールでは独立記念日に、ナショナル・デイ・パレードを行い、毎年テーマソングをつくる慣習があります。

独立後、国の規模が小さく、天然資源にも乏しいシンガポールは、リー・クアンユー主導の開発独裁体制のもとで外国資本への経済的優遇政策がとられ、経済的発展が国家としての目標に掲げられました。民族間の経済格差や文化的な分断などの問題を抱える中で、あつれきを防ぐために、シンガポール社会では能力主義が徹底されます。2か国語教育によって国民の大部分が共通して英語を理解できるようになったため、国際的な規模での政治、経済的な活動を促されました。その結果ある時期、国民をまとめ上げるシンガポールという国独自の文化やアイデンティティーの形成が妨げられる傾向が生じます。独立を祝うテーマソングは、そうした国民の一体感や愛国心を高める工夫の一つとなっていました。

シンガポール政府は芸術・文化の振興を通じて、国家のアイデンティティーと文化を生みだそうとして、1990年代以降、文化振興政策を盛んに行うようになり、その一環としてシンガポール・ビエンナーレが2006年に始められました。2013年のシンガポール・ビエンナーレで展示された《ハッピー&フリー》にしても、そのように政府の意向も含んで形成されてきた国家のアイデンティティーを再度考え直すように促していると言えるでしょう。

黄色人種としての私

「アイデンティティー」に関連する問題のうち、国内にとどまっている限り私たちが意識しづらいのが、人種や民族についての側面です。ただ、そうしたことは日本人に限ったことではないようです。

武笠:リー・ウェンは現在60歳のシンガポールを代表するアーティストで、パフォーマンスやインスタレーション作品で知られています。パフォーマンス《イエローマンの旅》は、リー・ウェンが1990年のロンドンで留学中に始めたもので、「イエローマン」シリーズとして世界各地に巡回し、国際的に評価される代表作となりました。

リー・ウェン《イエローマンの旅》

リー・ウェン《奇妙な果実》

武笠:西洋では人数の多さからアジア系の人は中国人と思われやすいのですが、東南アジアと関係の深いイギリスでも、アジア諸国の歴史的、文化的な違いを念頭に置かず、一概に中国人と見なしてしまうところに、白人中心の考え方が現れていると言えるのかもしれません。

《イエローマンの旅》はリー・ウェンがロンドンで中国本土出身の中国人とよく間違われたことから着想を得て始めたもので、髪を剃り、全身を黄色の絵具で塗って、街を歩きまわりました。リー・ウェンは、本来の肌の色を覆い隠し、殊更に強調された黄色人種という仮面をつけ、「イエローマン」というペルソナを演じています。ほとんど裸に近い無防備な姿で、一人で街を歩く様子には、西洋社会に同化しつつ、アジア人という一面的な見られ方を受け入れる難しさや、マイノリティとして生きる孤独が暗示されているのかもしれません。

本展では、《イエローマン》でコスチュームとして着用されたものを再製作した、ランタンを木の枠に取りつけたオブジェクトも展示されています。

武笠:シンガポールでは9月から10月にかけて、チャイナタウンを中心として各地にランタンを灯すランタン・フェスティバルが行われます。リー・ウェンはランタン・フェスティバルの時にこのオブジェを身に着けて《イエローマンの旅》のパフォーマンスを行ったそうです。シンガポールの街を歩いたのち、浜辺へ行き、パフォーマンス記録の最後はランタンが海に浮かぶ様子で締めくくられます。このオブジェには《奇妙な果実》というタイトルがついていますが、アメリカの黒人の人々への暴力や差別を歌った同名のジャズ・ソングから取られているそうです。東南アジアで中華系住民は、歴史的に差別や政府からの抑圧の対象となる場合が多く、「サンシャワー展」でも、シンガポールと同様に多民族国家であるインドネシアでの中華系住民への差別や暴力の歴史を扱った作品が何点か展示されています。

リー・ウェンは、私たちが展覧会の調査でシンガポールにある彼のスタジオを訪れた時、シンガポールのアートやパフォーマンスの状況について熱心に話してくれました。彼は表現活動の制約が厳しい管理社会として知られるシンガポールで、文化や芸術の置かれた状況を批判的に観察しながら活動してきており、先ほど「アーカイブ」セクションで見たザ・アーティスト・ビレッジの創立当初から参加しています。

アジア人の乗り越えがたい壁

「アイデンティティー」セクション3人目の作家は、ミン・ウォンです。《来年》と題された映像作品はモノクロで一見映画作品のようですが、映画を下敷きに、作家が自ら演じるキャラクターの映像をオーバーラップさせたもので、とても奇妙な印象をもたらします。

武笠:ミン・ウォンはロンドン大学でメディア・アートを学び、現在はシンガポールとベルリンを拠点に活動しています。映像と複数のスクリーンや鏡を使ったインスタレーションなどで国際的に知られていて、1960年代から80年代にかけての古い映画から着想を得た作品を多く制作しています。ミン・ウォン自身が民族や性別、年齢にかかわらず、幅広い登場人物の役を演じることも多く、中華系シンガポール人としてのアイデンティティーや西洋文化の影響などの問題意識を反映しています。

出品作は《来年》と題されていますが、『去年マリエンバートで』という1961年の仏伊合作のモノクロ映画から着想を得たものです。元の映画にミン・ウォン自身が撮影した映像を組み合わせています。『去年マリエンバートで』は主人公の男女の会話と、それぞれの記憶が食い違った、内容の異なる回想シーンと、現在と過去の時間軸が入り乱れるように構成されています。

この複雑な映画に対して、さらにミン・ウォンは自分で映画と同じ役柄を演じて同じ場面を撮影し、元の映画に差し込んでいます。字幕が二重になっていますが、元の映画のナレーションが過去の回想なのに対して、ミン・ウォンの映像字幕は同じ内容を未来に起こる出来事として語っています。複数の時間軸が重なるように緻密に考えられているのです。

ミン・ウォン《来年》

ミン・ウォン《来年》

武笠:ミン・ウォンのほかにもアジア系の役者が今風の若者を演じています。アジア人が西洋人を演じ、また男性のミン・ウォンが女性を演じている点には、ジェンダーや人種、年齢にまつわるステレオタイプのイメージや、メディア・イメージとアイデンティティーの関係への問いかけがあるように思えます。たとえば、海外の映画を見るときにも登場人物の立場に立って感情移入しますが、現実の場面では、ヨーロッパ人の社会的な立場をアジア人が同じように経験することは、まず難しい。また、ある見方をすれば、《来年》は、ミン・ウォンのような中華系シンガポール人の男性がこの映画を見て、主人公の女性に感情移入する視点を一種コミカルに表しているのかもしれません。

女性であるがゆえの問いかけ

アイデンティティーを考えるとき、ジェンダーも主要な問題になってきます。このセクションの残り2人のシンガポール出身作家は、いずれも女性アーティストになります。1951年生まれのアマンダ・ヘンは現在60代で、変化していく女性の社会的な立場や役割、社会から期待される女性像をテーマに取り上げて活動してきました。展示されたのは写真作品ですが、そのうち5点は「もうひとりの女」というシリーズ、残りの1点は《20年後》と題されています。

武笠:どれも同じ女性2人が写っていますが、2人の関係をどのように想像されるでしょうか? 黒髪の若い方の女性がアマンダ自身で、もうひとりの白髪の女性は彼女の母親です。アマンダは中華系シンガポール人の大家族の中で育ちましたが、彼女が子供時代を過ごした1950年代、1960年代には家父長制が強く残り、父親や男兄弟が大切にされる一方で、娘たちはおろそかにされる傾向がありました。アマンダも母親からあまり理解されず、親しい関係を持つことなく育ちましたが、大人になってから、もう一度、母親との関係を新しく築こうと、母親と共同で作品を制作することにしました。

「もうひとりの女」のシリーズは1996年から97年にかけて制作されたもので、当時、アマンダは40代半ばでした。独立後のシンガポール政府は経済発展を優先させ、女性の地位についても労働力としての社会参加と経済的な効果を重視しましたが、この頃になると、それまでの国家の目標であった経済発展や都市開発は成果を上げ、国民の生活水準は先進国並みになっていました。しかしその後も政府が国民からの支持と団結を維持するために、国家としての新たなアイデンティティーが必要となりました。ここで政府は異なる人種・宗教の調和という「国民の共有する価値」や、「家族の価値」を重視する考え方を普及させようと努めましたが、これらの考え方は儒教に基づいたもので、女性は労働力であることに加えて、良妻賢母であることが求められ、大きな負担を背負うことになります。女性アーティストたちは社会から求められるこうした役割に疑問を投げかけ、女性としてのアイデンティティーを模索していきます。

そのような変化を経て、アマンダは母とのコミュニケーションについて取り上げています。《もうひとりの女 No. 2》は肌と肌の直接のふれあいが示された2人が抱き合う写真作品です。お母さんが穏やかな表情をしているものの、ぴったりと抱き合っているのではなくて、2人の間には少し距離があって、よそよそしく見える部分もあります。《20年後》は《もうひとりの女 No. 2》から約20年後に同じ構図で2人を写していますが、こちらの方がよりしっかりと抱きしめ合っていて、新密度が増しているようです。

シャーマン・オンの《ヌサンタラ》

シャーマン・オン《ヌサンタラ――海は歌い風は我々を運ぶだろう》

アマンダ・ヘンの作品の先には、シャーマン・オンの《ヌサンタラ――海は歌い風は我々を運ぶだろう》が展示されています。彼はマレーシア生まれですが、現在シンガポールで映像と写真の制作を中心として活動しています。

武笠:出品された《ヌサンタラ》は、インドネシア語で「インドネシアの島々」を表す言葉です。移民やディアスポラとしてのアイデンティティーを扱った6つの映像で構成され、それぞれの映像は約10分程度の長さになります。家族や仕事の事情などで母国を離れて東南アジア(シンガポール、またはマレーシア)で暮らす移民が一人ずつインタビューを受けて、それぞれの人生やこれまでに起こった出来事について話をするという体裁をとっています。

たとえば、中国からシンガポールへ一家で移民してきた女性が、言語や習慣の違いに戸惑ったり、インド人との結婚を反対されたことについて話したり、政治犯として追われた父とともにインドネシアからマレーシアに渡って不法移民となった男性が、恩赦からマレーシアの国籍を入手したことなどを話していますが、これらは実は本人へのインタビューではなく、実話に基づいて役者が演じながら話したものなのです。現実とフィクションが交差しているのですが、2つのスクリーンに同じ映像が少し時間をずらして映す点にも、現実の出来事を回想して、複製するという操作が暗示されていると言えます。

自分自身をどのように見せるのか

国立新美術館最後のセクションタイトルは、「日々の生活」です。展示室を一つにして、壁が少ない巨大な空間がこのセクションに充てられましたが、ここに展示されたシンガポール出身作家は、スーザン・ビクター一人になります。ビクターはシンガポール出身ですが、オーストラリアで美術を学び、今もシドニーを拠点に活動しています。近年では、この作品のように透明なプラスティックのレンズや、クリスタル・ガラス、電球などを使った大規模なインスタレーションで注目を集めているそうです。

スーザン・ビクター《ヴェール―異端者のように見る》

スーザン・ビクター《ヴェール――異端者のように見る》

武笠:スーザン・ビクターはこれまで植民地宗主国の権力や、マイノリティとしての女性のアイデンティティーを扱う作品を制作してきましたが、この作品のタイトル《ヴェール――異端者のように見る》は、シンガポールでは少数派のイスラム教徒の女性が着用するヒジャブを連想させます。ふつう、ヴェールはその内側にあるものを他の人の視線から隠し、守る機能を持っていますが、このレンズのヴェールは、見る場所やレンズとの距離に応じて、映るものを拡大したり、上下反転させたりします。

作品の周囲を歩いて、近づいたり離れたりすることで見え方が変わります。レンズに自分の姿や物が映り込むことで、視界が遮られる一方で、作品に近づくと、レンズの隙間にある穴から反対側を覗き見ることができます。作品の内側に入ることもできて、自分が作品を見るのと同時に、反対側にいる他の人からも自分の姿が垣間見えています。この作品は、見ることと見られることが同時に起こり、その2つが時に曖昧になる状況を表していますが、これは現代社会ではSNSなどで生活の一部を公開し合っている中で、自分のイメージやアイデンティティーをどのように扱うのかという問題を反映しているようにもとれると思います。

セクションタイトルは「日々の生活」なので、他の作品には家やお店のインスタレーションが多いのですが、この作品は視覚的美しさを重視しているように見えます。一方で、日常生活の中でも、見ることと見られることという行為の間には何らかの力関係が発生し、それが時には一種の暴力にすらなりうることを暗示していると思います。

おわりに

おわりに、武笠研究補佐員にまとめの言葉をもらいました。

武笠:ホー・ルイ・アンのように植民地主義に関わる歴史とイギリスとの力関係の中で東南アジアのアイデンティティーを考えたり、ブー・ジュンフェンのカラオケのようにマレーシアとの併合・分離というセンシティブな出来事をコミカルに扱ってマレーシアとの対比からシンガポールの国家としてのアイデンティティーを再度考え直すように促す作品もありました。また、リー・ウェンのように国際社会の中での黄色人種の位置や、中国人と比較した際の中華系シンガポール人のアイデンティティーがあり、女性としてのアイデンティティー、現代の日常生活の中でのアイデンティティーの確立という問題なども取り上げられていました。

今回ご紹介したアーティストたちは東南アジアの歴史だけではなく、国際的な美術の流れや、東南アジアをめぐる植民地主義などの議論を踏まえたうえで、支配者と被支配者、民族的な多数派と少数派などの間で発生する力関係や、シンガポールの独立と経済発展、西洋化といった社会変化の中で、アイデンティティーを形成するという問題を表しているように思えます。

シンガポールのアーティストに限らず、また森美術館の会場でも「アイデンティティー」というテーマを発見することができたはずです。こうした観点からも「サンシャワー展」をご覧いただき、東南アジア現代美術の一端をお楽しみいただけたなら幸いです。